光にみちた空虚とは

    驚いたことに何一つ書くことがありません。
    すべては言い尽くされ、なし尽くされました――
    安んじて死を待つほか、何も残されていません。
    広大な空虚です――暗黒ではなく、驚異的な光に
    みちた空虚です。
    炸裂する雷鳴の、耳も聾せんばかりの轟音によって
    生みだされた、無辺際の静寂です。


これは、死の近い天心が、最後の恋の相手に送った
手紙(1913年8月2日付)の一部である。



人生の終わりに、私自身何を感じ何を言うだろうか。
もちろん、死はやってくる。

驚異的な光とは?
そんな光にみちた空虚とは?
なにやら禅問答(よい比喩ではないが)のようである。

死を人生の集大成とするならば、この天心の言葉は、
天心の生き方を、天心の思いの何物かを表している
と言えよう。

この「空虚」を、無の世界と言い直したならば、
それは只言い直した人の自己満足に過ぎない。
何も言っていないことに等しい。

さて、「茶の本」のなかで、天心は、

    われわれが人生と呼んでいる愚かしい艱難にみち、
    騒然とした海の上の生活

といい、

    絶えず惨めな状態
と言っている。
一方、  
    何故人は大波の心に共感しようとしないので
    あろうか。また列子のように、暴風そのもの
    を御そうとしないのであるか。

とも。

この大波や暴風は、冒頭に引用した、「炸裂する雷鳴」
と重なってくる。
それら大波や暴風こそが生み出す、静寂・空虚--
それを天心は見ていたのである。
共感し、御し、主客同一となったのであろう。
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by tamon1765 | 2007-07-02 23:04 | 天心岡倉覚三さん | Trackback | Comments(0)

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