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古田織部殿の時代は、金森出雲殿尤目ききの功者たり

25 古田織部殿の時代は、金森出雲殿尤目ききの功者たり、堺にての肩付を、金子三枚に取給ひて飛騨へ下国し、火口のくすりむさきとて、焼なをし給へるとて、上方にて取り沙汰はうへん有し、座に薮内紹智とて、ふるき目利の功者名誉の悪心もの有しか、各左様に被仰候へとも、出雲殿は焼き目の有て買給ふか、各は其目有ましきと云ののしれり、さようの事、たれの前



ともなく高言のみ云へるによりて、人ふかくにくみし也、其後、夏切とて客六十人計、大名衆・京町方御振舞有し、此内へ紹智にくみしよりはねて紹智講と名付しなり、その衆、来春東山にて各茶箱くらへ給ひし時、雲州御のほりにて、茶箱にかの焼給ひし茶入に、ふた袋きれいして取出し給へは、皆々はあの茶入なれは、類もなくてわひしきとそ、それよりして、茶弁当にから物茶入、世にはやれる也、その焼様尋ね侍りしに、炭をしめしておくすりの残したき所を、灰の中におしこみて、まわりに火をおき焼給ふ由也、その茶入、伊藤掃部殿へ出し給ひしか、後に海へ取おとしたまふ也
by tamon1765 | 2004-08-25 20:35 | 『 長闇堂記 』 | Trackback | Comments(0)

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