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自分を生かす <竹西寛子>


自分に執着するのと、自分から離れて自分を見るのとは、
本来、無縁のことではないはずである。
狭く執着したために部分的にしか生かされない自分と、
大きく投げ出したためにまるごと生かされる自分を比べ
ていると、自己愛と自己放棄は矛盾するものではないと
思うようになる。
(中略).......私はしばしば自己放棄ということを考える。


『 竹西寛子の松尾芭蕉集・与謝野蕪村集 』から


世阿弥、離見の見を想い出す言葉でもある。
日々の生活の中で、「自分を生かす」ことに思いを寄せる
ことを、促される。



Commented by rt at 2006-12-31 01:14 x
「大きく投げ出した」のは「何に」対してなのか、ちょっとわからないですねぇ。
「離見の見」に関連して、私が一番意識してるのは「ジョハリの窓」↓のような気がします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%81%AE%E7%AA%93

すでに大晦日ですが、よいお年を。
Commented by tamon1765 at 2007-01-11 13:53
ろたさん
コメントありがとうございました。
遅くなりましたが、本年もよろしく.今年も楽しんでいきましょう.
「自分を投げ出す」といいますと、ハイデッガーのentwerfenも思い浮かびます。,
「世間に対して、大自然に対して、未来に対して、全てのものに対して」と
考えたら、如何でしょうか.
この場合、世間(社会,人々)に対して己を投げ出すとは、自分自身を一回無に
してみて,身を任せてみることでしょう。
「受け入れる」という言葉にも置き換えられると思います。
,ハイデッガーとは繋がるか否かは,私には無理ですけど.

「離見の見」に関して、「ジョハリの窓」というのは、興味深かったです.
色々な捉え方があるのだなあ、と。
by tamon1765 | 2006-12-29 22:14 | ことば | Trackback | Comments(2)

お茶、その他についての、極く私的なブログ


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