澤庵和尚茶湯一枚起請文 

澤庵和尚茶湯一枚起請文
                      一説利休作と云
唐土我朝、もろもろの茶湯者の沙汰し申さるる茶湯の
茶にもあらず。
只咽のかわきを止んため、湯を沸しぬれは、疑心なきそ
とおもひ、飲むの外べつの子細候はず。
但し、数寄と申ことの候は、我胸のうちさへ奇麗に候へば、
よろづ其うちにこもり候なり。
この外に、奧ふかきことを存ぜは、人の憐みにはつれ、
数寄者のかずにも洩れるへし。
この道を信せん人は、なほ和漢の道具を得たりとも、
一物不持の貧者のみとなりて、尼入道の無知の輩におなじく
数寄振る舞いをせずして、只一向に湯をわかすへし





唐や我が国で、様々な茶の湯者のやっている茶の湯という
ものは、私が思うに、お茶ではない。
茶は唯、のどの渇きをいやすためのものだ。
湯を沸かしてしまえば、何も疑問に思うことはない。
飲むことの外に、特別なことはない。
ただし、数寄ということがあるとすれば、それは自分の胸の
うちを清廉潔白にしておくことだ。
全てはそこにある。
それ以外に、何か特別なものがあると思っていると、かえって、
人の憐れみの心にはずれて、数寄者と見なされないだろう。
この道を信じ進んでいこうと思う人は、国内外の良い道具を
手に入れたとしても、道具一つ持たない貧しい人々の境遇に
ある気持ちで、仏弟子と同様に謙虚に自分が無知であるという
自覚を持って、妙な数寄者気取りをやめて、
ただ一心に湯を沸かすのがよいだろう。
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by tamon1765 | 2006-12-24 22:42 | ことば | Trackback | Comments(0)

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