「人間到る処青山あり」

キャスターのT氏が、「人間到る処青山あり」の青山は
お墓のこと、と言っていた。
彼は、「 転勤異動があっても、どこにでも骨を埋めるところは
ある、何処にだってお墓(に成りうる所)はある、の思いで
業務命令に従った 」 という文脈で語っていた。

おや? そうなのか、
と割り切れないものを感じて、本をひっくり返してみた。

  男児 志を立てて郷関を出ず
  学 若し成る無くんば 復た還らず
  骨を埋むる 何ぞ期せん 墳墓の地
  人間到る処 青山あり


勤王の僧、釈月性(シャクゲッショウ) が27才の作。学問をする
ために大坂に出んと、故郷の山口を出立する際のものだ。

3行目に確かに、墳墓と言ってはいるが、青山を墓と限定
するの如何なものか。
そのような限定はこの詩を矮小化しているように思い、残念
である。

まず、青山と言えば、青々と茂った森のある山を思い浮かべる。
それは美しく、豊かさの源となるものである。

ヤマトタケルの命の 「 たたなづく 青垣 」 という美しい歌も
想い出される。
青山は、神様を秘めた世界でもあり、想像に膨らんだ手の届か
ない理想境でもある。神奈備である。

また、この詩では、青山は還らない故郷以外の地でのものをいう。
つまり、古里以外にも(到るところに)、良いところ美しい場所
はあるのだ、と読みとれる。
もちろん故郷にも青山がある。いやむしろ、青山は故郷そのものとも
言えよう。
なにやら矛盾した物言いになってしまったが、青山は各自の心の
中の故郷に成り得る処と言い換えればよいのかもしれない。

そして、人間とは 「人間世界」「世の中」 の意味であるので、
この青山は、標高差のある地学的・地理的な「山」だけを表すの
ではない。
人と人の関係の中、或る組織の中にも青山(=美しいものごと、
懐かしい愛にはぐくまれた故郷)はあるのだ、ということになる。

以上のようにどんどんイメージが広がっていくことを思うと、
青山を墓と限定しない方がよいのは、当然であろう。

さて、韓国は慶州市街地の民家の間にあった古墳群----確かに
緑の美しい青山ではあった。お墓なのに、不思議な落ち着きと
懐かしさを与えてくれるものだった。

しかしながら、この詩で青山がこのような古墳を指すだけだと
したら、それは寂しい。



<一部加筆:20.4.20>
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Commented at 2007-05-27 14:55
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by tamon1765 | 2006-12-05 01:34 | ことば | Trackback | Comments(1)

気ま~まな独り旅


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