水道橋心中
2017年 05月 24日
読む人によっては、あまり後味のいい話題ではないかも
しれません。そのことをご了解の上、お読み下さい。
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「享和雑記」p72を眺めていたら、川上不白さんの元にいた
若い男女が心中をしたという話が目に入りました。
校訂者三田村鳶魚による解題には、この水道橋心中は、
志満山人作「梛の二葉」として文政6年に刊行されたと
ありますから、江戸の或る時期には流布した話だったの
だと思われます。
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話の内容は、享和元年1801年、不白82歳のこと。
「酉十一月六日小日向水神の社辺にて相対死あり、若衆は
十五歳、娘は十六歳といふ」というものですが、娘は
不白の妾です。妾は5人、そのうち3人は17歳以下。
一方、若衆は、「(不白の)倅が仲間の与力の次男、容貌
人並みに勝れ利口弁佞なる生まれにて習ふともなく、
茶湯をよく覚えて年に似合わず取り廻す美少年あり」とあり、
(不白の)寵愛又類なしと。
つまり、男色関係にあったということでしょう。
私としては、不白さんには、ややガッカリ……..
ですが、人は誰でも(私も)時代と土地の習慣の制約の中
に生きているのですから、今この瞬間の私の立場から
批判してもしょうがないです。
さて、娘がこの美男に恋慕し二人はそういう関係になった。
不白は知りながら空知らず顔をし、むしろその後は遠慮して
この妾をただ傍に休ませるだけにして、労わってあげた。
いずれ、少年を与力にし、この妾を遣わしてあげようと
思っていたが、「不慮の事出来て愁嘆いうばかりなし」。
娘は懐妊し、不白の心を知らずして、二人で死を選んだ
ということです。
恋はお家の御法度の時代ですからねえ。
この作者(柳川亭と自称しているが詳らかならず)は、
激しい非難とは思えませんが、不白の奢りをたしなめて
いるといった趣です。
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どっかで、この話を読んだなあ、と書棚をさがしてみました。
井口海仙「随筆茶道」平楽寺書店兌S18.12
にありました。P126
矢田挿雲「江戸から東京へ」無かったです。
武江年表にもありません。
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井口氏は、何か別の種本があるのでしょうか。幾分違いが
あり、気になります。不白の妾に変わりないですが、十七八歳。
近所の若者と愛し合うようになり、家出した。
不白はすぐ彼女の手文庫を見たが、小遣いにあげた金子が
残っていたので、「あの女はキット死ぬ気だ。早く探し出して
呉れ」と捜索させた。が、時遅し、早稲田の田圃で情死していた。
金を残して出奔するは生命危し、とのことで、井口氏の最後の
コメントは
「不白は、茶の湯のことのみではなく、世事にも、中々詳しい
人物であつた事が、この逸話でよく知れる。」
こんなまとめ方でよろしいのでしょうか。
私には大いに疑問ですし、不満です。