水道橋心中


読む人によっては、あまり後味のいい話題ではないかも

しれません。そのことをご了解の上、お読み下さい。

 *

「享和雑記」p72を眺めていたら、川上不白さんの元にいた

若い男女が心中をしたという話が目に入りました。

校訂者三田村鳶魚による解題には、この水道橋心中は、

志満山人作「梛の二葉」として文政6年に刊行されたと

ありますから、江戸の或る時期には流布した話だったの

だと思われます。

 *

話の内容は、享和元年1801年、不白82歳のこと。

「酉十一月六日小日向水神の社辺にて相対死あり、若衆は

十五歳、娘は十六歳といふ」というものですが、娘は

不白の妾です。妾は5人、そのうち3人は17歳以下。

一方、若衆は、「(不白の)倅が仲間の与力の次男、容貌人並みに勝れ

利口弁佞なる生まれにて習ふともなく、茶湯をよく覚えて

年に似合わず取り廻す美少年あり」とあり、(不白の)寵愛又類なし

と。つまり、男色関係にあったということでしょう。

私としては、不白さんには、ややガッカリ……..

ですが、人は誰でも(私も)時代と土地の習慣の制約の中

に生きているのですから、今この瞬間の私の立場から

批判してもしょうがないです。

さて、娘がこの美男に恋慕し二人はそういう関係になった。

不白は知りながら空知らず顔をし、むしろその後は遠慮して

この妾をただ傍に休ませるだけにして、労わってあげた。

いずれ、少年を与力にし、この妾を遣わしてあげようと

思っていたが、「不慮の事出来て愁嘆いうばかりなし」。

娘は懐妊し、不白の心を知らずして、二人で死を選んだ

ということです。

恋はお家の御法度の時代ですからねえ。

この作者(柳川亭と自称しているが詳らかならず)は、

激しい非難とは思えませんが、不白の奢りをたしなめていると

いった趣です。

 *

どっかで、この話を読んだなあ、と書棚をさがしてみました。

 井口海仙「随筆茶道」平楽寺書店兌s18.12にありました。P126

 矢田挿雲「江戸から東京へ」無かったです。

 武江年表にもありません。

 *

井口氏は、何か別の種本があるのでしょうか。幾分違いが

あり、気になります。不白の妾に変わりないですが、十七八歳。

近所の若者と愛し合うようになり、家出した。

不白はすぐ彼女の手文庫を見たが、小遣いにあげた金子が

残っていたので、「あの女はキット死ぬ気だ。早く探し出して

呉れ」と捜索させた。が、時遅し、早稲田の田圃で情死していた。

金を残して出奔するは生命危し、とのことで、井口氏の最後の

コメントは

「不白は、茶の湯のことのみではなく、世事にも、中々詳しい

人物であつた事が、この逸話でよく知れる。」

こんなまとめ方でよろしいのでしょうか。

私には大いに疑問ですし、不満です。



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by tamon1765 | 2017-05-24 18:55 | 川上不白さん | Trackback | Comments(0)

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