林左馬衛先生を偲んで
2015年 06月 24日
偶々、雑誌「茶道の研究」589号をめくっていたら、
『目立つことを嫌った先駆者の足跡』
という田中仙堂氏による、林左馬衛先生追悼の文章に
行き会いました。
平成16年10月3日に亡くなられたので、もう11年
になるのですか・・・・・・。
時の流れの速さに驚くばかりです。仙堂氏は林先生に
ついて的確に表現されています。例えば、曰く
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「先生の文体は、文学的な晦渋と含羞を含まれたもの
であり、社会学の論文での直截的な表現に慣れた私には、
はじめはなかなか先駆的意義どころか、文意も上手く
とれないところがありました。」
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うん、そこが又、林先生の何とも言えない魅力なんです
よね、と一人頷く私です。
私も一度だけ林先生に接したことがありますが、格好良かった。
ホテルニューオオタニでの講演会でした。
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さて、昨秋、天心さんの茶の本を、1フレーズ毎読み直さ
なければいけない、と自分に課したことを思い出しました。
全くやっていないどころか、誓いを立てたこと自体忘れて
いるのですから、お話になりません。情けないことです。
勿論、その際には、林先生の『”茶”を視る術―「茶の本」
の理想―』を脇に置いて、ですね。
今開いても、この著作には、重い言葉が並んでいます。
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“茶”とは何かを凝視することは、人間とは何かを具体的
個別的に問いつめる仕事なのである。
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すぐれた人が求めたすぐれた“茶”に依存していれば何とか
なる、というわけではない。“茶”はそれぞれの個人が
自分の力で開いてみなければどうにもならない世界である
からだ。
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処で、この仙堂さん、家元の次期を継ぐ方たちの中で
私が最もシンパシーを感じる方ですが、年齢から考えて
大澤真幸さんと学部・院で同級生でしょうか。最近、大澤氏
の著作を続けて目にしているので、勝手ながら、二人の交流を
夢想するのも興味深いです。