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陸羽の「毀茶論」2

意外なところから、陸羽の「毀茶論」の情報を得た
ので報告します。
出典は、太宰春台先生の「独語」。
お茶非難の激しい書物として有名ですね。
よって、春台先生には都合のいい話題なのかもしれません。
陸羽についての部分を、いつもの私流超訳です。


漢土にては、南北朝の頃よりお茶を飲むことが始まり、
唐時代に盛んになった。これを、盧同陸羽は特に好んだ。
盧同は茶の歌を作り、陸羽は茶経を表わした。(略)
陸羽が茶を弄ぶことは今の人(江戸)に似ている。
陸羽の同時代人で常伯熊という人も茶に道に詳しい。
李季卿、承相李適之の息子で御史大夫が、皇帝の命で
江南へ赴いた。臨懐県の宿泊施設に来ると、或る人が
常伯熊が茶に通じていることを伝えると、興味を感じ
旅館に呼び寄せ、茶をやらせた。
この時の伯熊の格好はというと、黄色い着物に黒い
紗の帽子で、手に茶筌を持ち、口では茶名を唱え、
丁寧に準備して、決まりの如く茶を用意した。
見ている者は、目を見開いて、珍しいものを見るとの
思いを深めた。実際に飲んでみると、季卿はお替りして
二杯飲んだ。
季卿は、次に江外という処に至って、今度は陸羽を召
した。茶をやらせたが、陸羽は野良の服装で、茶道具を
先に持って出て始めた。茶の作法は全く伯熊と同じで
あった。
季卿はお茶を飲んだが、陸羽の仕業を見て、賤しいもの
と思い、家来に命じて銭30文を陸羽に与えた。
陸羽はこのことを大いに恥じ悔やんで、この時から、
お茶を玩ぶことを断って、毀茶論をしるしたということだ。


以上。
さて、或る時期、私は、最も大切にしなければいけない
ものは人間の尊厳であると、強く感じていました。
世に、人の命は地球より重い、などと云う人がいますが、
命より尊厳の方が重いのでは・・・・・・と。
上記のエピソードをそのまま事実とするならば、ある意味、
ここでは陸羽にとっては尊厳の問題であったと思われます。

また、ふと、西鶴のある作品も彷彿とさせます。


原文は「日本随筆大成 巻九」s2、吉川弘文館 p241、242。


陸羽の「毀茶論」3もご笑覧ください。


<26.2.13>追加補足
by tamon1765 | 2014-01-30 22:03 | | Trackback | Comments(0)

お茶、その他についての、極く私的なブログ


by tamon