主客一致

ひとりで、お茶、紅茶或いはコーヒーを入れて飲むとする。
一口飲み、そして本を読む、あるいは音楽を聴く。
そしてまた、一口。
二口目を飲むために、お茶碗を手にすることに、何の不自然
さも感じない。飲もうと思うから手を伸ばす。
当然のことである。
しかし、ここで他人のお茶碗だったらどうだろうか。
人の飲みかけの茶碗を続けて飲むことは、ちょっとありえないし、
口にすべきものではないというこだわりがある。
状況によることに違いないのであるが。

さて、不白筆記を開くと、下記のようにある。

我と人との二身在るは茶道に非ず。
茶は人の飲みかけを飲みて茶の礼とするなり。
賓となり主となり、主客一致に真なるを以って
道に進むを願ふ。


人の飲みかけの茶碗を続けて飲むことにためらいを感じることは、
不白さんによれば、「茶の礼に反し、茶道ではないものになって
いる」ことになる。
こだわりやためらいもなく、日常生活の中でもごく自然に人の
飲みかけが出来るだろうか。
そこまでの境地に行けるものなのか。
この不白さんの一節は、私に突き付けられた大きな課題である。

茶の湯は常の事なり、と不白さんは喝破する以上、
茶碗の飲み回しがお茶席だけの事であったらそれこそ茶番である。

思うに、母と子(幼児)、恋人同士は、そのようなためらいが
ないよう思われる。
それだけ信頼関係に結ばれた一体関係にあることで可能であると
思うと、考えさせられる。
私には身震いのするような一節であった。
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Commented at 2011-07-31 07:01
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
by tamon1765 | 2011-07-29 08:08 | 川上不白さん | Trackback | Comments(1)

気ま~まな独り旅


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