棗の起源

田中仙翁の書かれているものを眺めていたら、私にとっての、
新たな情報が。曰く
   棗は薄茶器の代表的なものである。茶入の挽家を転用した
   とするが通説であろう。

というのである。
棗の起源が、挽家であったとは!
それも通説!
はじめて聞きました。
亡くなられた宗哲(中村弘子)さんのご本をめくると、
棗は珠光時代に奈良の塗師羽田(ハネダ)五郎によって創始
されたとあり、挽家という記述は無いようです。
しかし、別なところで見つけた話しでは、、藪内竹心さんの
「源流茶話」に、
   棗は小壷の挽家、中次はかたつきのひき家より見たて
   られ候

とあるそうです。これから原典にあたってみようと思います。
あの棗の形がストレートに、薬入れや化粧品入れになったの
ではないか(そしてそれが、お茶の世界に転用された)と
わたしは思っていましたが、そうでもないようで、
これからの調査が楽しみです。
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Commented at 2009-05-19 19:56
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 宗恵 at 2009-05-21 13:53 x
わたしも薬入れなどの転用かと思っておりましたが挽家を転用とは・・・。
これからの調査の結果をわたしも楽しみにしております。

Commented by tamon1765 at 2009-05-21 21:44
宗恵さん コメントありがとうございます。
全く思いもよらなかったことを通説と断言されたので、
ビックリしました。
余りあてにならない調査ですので、気長にお待ち下さい。
Commented by みどり at 2009-05-27 00:26 x
『源流茶話』の他にも、『槐記』に「大体棗は、茶入の挽家也。夫故文琳、丸壺、肩衝を始として、夫々の茶入の形に応じて、挽家はある物故、唐物廿四の挽家にある形より、外はなき筈也、と合点すべし。是大事の習也。」、「今の世茶入を挽家に、至極に結構を盡して、袋まで美麗なりあり、よき形なるを棗目のかはりに薄茶を入れて出し候はゞ、いかゞ侍らんと伺ふ、仰に、いかにも昔の故実は、その筈なること也」とあります。
角川茶道辞典や雄山閣茶道具事典も挽家の項に同様なことを書いています。
ただ、池田巌の「棗」では挽家の殆どが江戸期であるところから疑問を呈していますし、内田篤呉が「棗の発生と成立」のなかで薬器などの塗物茶器の系譜に繋がるものとしていますね。
棗が挽家由来であることが否定されるようになったのは、これ以降ではないでしょうか。
変わったものとしては、「松屋会記」永禄四年二月二十一日にみえる「ナニヤロウ」という茶器があり、ヤロウは薬籠だとおもいますが、松尾流の家元に伝来する辻玄哉所持はナニヤロウ棗と呼べればれてますが、いわゆる「棗」の語の初出より早い時期で、過渡的なものだったんでしょうか。
いろいろ考えると、楽しいですねぇ。
Commented by tamon1765 at 2009-05-27 12:52
みどりさん
ご丁寧にも詳細なお話しありがとうございます。
拝見すると、ワクワクしてきますね。
いろいろな本をひっくりしてみたくなりました。
by tamon1765 | 2009-05-19 06:31 | お道具とお茶室 | Trackback | Comments(5)

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