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2009年 08月 25日
表千家七代目如心斎宗匠の 茶の湯とはいかなるものをいふやらん 墨絵に書し松風の音 の歌が気になっています。 平面の絵画から音が立ち上がってくるということは はたして、どういうことなのでしょうか。 どのような文脈のなかで、語られているのかと出典を 紐解きますと、『不白筆記』のなかにあります。 歌の前に 冬木喜平次より茶の湯の一品を如心へ所望致候得ば 書て送りけるに とあるだけです。 さて、私どもは会記を目にし、即物的にこの道具は ナニナニでダレダレの作で、とお話しします。 一方、平面絵画から3次元的にその景色が現われる だけではなく、妙なる音が響いてくるということは とてつもないことです。 想像するに、ものをものと見ているのではなく、もの そのものに秘められた物語を読み取ることであり、 ものとものとの関係性のなかから、別の世界を感じ取る ということなのでしょう。 恐ろしく頭脳的な操作を行わねばならなく、且つ、 多くを感じ取りそれを膨らませられる感性が必要という ことなのでしょう。 さらには、イメージの連鎖、本歌取りと言い換えても よいかもしれません。それを行えるだけの蓄積を要する、 ということなのでしょう。 もっともっと修行が必要とあらためて感じました。 2009年 08月 25日
棗は、もっとも一般的なお薄器として、お茶に興味の
ある方には近しいものです。 しかし実の処、私はよく知らなかった。 そういう実があるらしい、といった程度。 しかし、今は、多様化、グローバル化?の時代。 いろいろなものが商店に並んでいます。 ちょっと気にすれば、すぐに、ドライの棗を求める ことが出来ます。 中国産と聞いて、危惧する向きもあるかもしれませんが、 まあ、そこは気にしない気にしない。 実際に自分で扱えば、また棗というものに情も深まると いうものです。 ![]() クコの実と共に求めて、出来たものが、 棗酒。 1ヶ月程度で琥珀色の良い色合いのものが出来ます。 梅酒などに割ってもいいでしょう。 ![]() そのまま呑んでいると、ある時、何かの味を思い出しました。考えた結果、この味は養命酒に似ています。 確かにナツメもクコの実も漢方薬としても重宝されていたと思います。 ![]() なお、コースターは、宇治の万福寺で頂いてきた 雲板型のコースターです。 黄檗山と読めます。 2009年 08月 23日
以前話題にしました、大燈国師も好んだという
「まくわ瓜」をついに食する機会に恵まれました。 入荷元は、国立ファームです。(地名の「くにたち」で あって「こくりつ」ではありません。念の為) ![]() わたしには、「こりゃあメロンですね」というお味で、 とっても美味しかったです。 なかなか無いものと思っていましたが、新潟県の稲作農家 では先の戦さの前後に、各農家で生産し食べていたとの情報 も得ました。きっと、日本各地で育てられていたのでは ないでしょうか。 ![]() わたしの求めたものは、大きさ15cm程度。380円でした。 ところで、メロンといえば、岡倉天心さんの話。 赤倉の別荘に、温泉を引き、その温泉熱を利用した温室を 作ったそうです。そこで、カルフォルニアのメロンを栽培した とのこと。本人は 「美味い、美味い」 と食べたが、家族や近隣 の人は 「なんて変な味だろう」 と首をかしげたそうです。 本人は、「高田まで持っていって売ろう」 とまで思ったそう ですが、ぐいぐい我を通す天心らしいではないですか。 もしそれが実現していたら、日本人のメロンの嗜好も微妙に 違っていたかもしてませんね。 この話はお孫さんの古志郎さんによります。 <21.8.25追記>友人の話しでは、韓国ではチャメといって、 5ケが300円程度で買えるそうです。 2009年 08月 12日
西山松之助先生によると、「石州三百ヶ条」とは、
釈迦入滅後の経典結集の形式で成立した本であり、 石州本人が書き残したものではない、という。 2009年 08月 11日
9月4~6日に、
新潟市 大栄寺、北方文化博物館(新潟市江南区沢海)にて 「茶禅一味の会」による、 静坐会・参禅会・講演会・交流会・茶会・講演会 があります。講師は、 林原美術館 熊倉功夫館長 京都造形美術大学 芳賀徹名誉学長 人間禅師家 了空庵堀井無縄老師 です。 実は今行こうか迷っています。 たまには、旅に出たいなって。 2009年 08月 10日
箒庵高橋義雄さんをどうお読みするでしょうか?
私は初めは「ソオアン」と発音していましたが、或る時から 「ホオキアン」と読んだほうがいいのではないかと考えて そのようにしてきました。 ところで、写真図版で、ご本人の書かれたものを目にしました。 ちる花も紅葉もはきて春秋のあはれをしるは箒なりけり とあり、やっぱり「ホオキアン」でしょうと思いました。 ある種自己陶酔が入っていますが、なかなか良い歌ではない でしょうか。 話換わって、荷風全集をめくっていたら、興行会社の松竹を、 荷風先生は「マツタケ」と呼んでいるのですね。 おもわず、微苦笑です。 名前の読み方って難しいですね。 2009年 08月 08日
お茶は、ご存知のように、「ナニナニの昔」「ナニナニの白」と
いう銘が多いです。 昔という字の奥ゆかしさもさることながら、分解した「廿一日」 を表すというのが、昔からの言い伝えと聞きます。 しかし、この21日というのが、私には、なにか薄ぼんやりでした。 林屋辰三郎さんが紹介する説は、八十八夜の前後21日ずつをとって、 その間に摘んだ新芽からのお茶に名付けた、というのです。 何でしょうねえ、空の晴れ渡った気分になりませんねえ。 もっと明快な説明をご存知の方はおられませんか。 2009年 08月 07日
金属パイプを買った。
何に使うかって? 竹を曲げるのに、ろうそくの炎と熱を集約する為。 と、思いは良いが、果たして上手く行くのか? 早くそのための時間を作って挑戦してみたい。 物の本によると、蝋燭の炎で上手く曲がることに なっているが、不器用な私は成功のためしがない。 そういえば、ガラスランプの天井に穴が開いたような ものを見たことがある。 それに倣って、蝋燭の熱が焦点のように集まる所を 造ればいいのかな、と。 適切な太さのガラス筒は手にいりにくいが、金属筒 ならばホームセンターで手軽に入手できる。 では、挑戦だ。 2009年 08月 05日
マルティン・ハイデガーに、“Inner-Weltlich-Sein”
世界内存在という概念があるが、なんとこれは、 天心の“being in the world”(「茶の本」) を取り入れたという説があるという。 もしそうならば、天心はハイデガーの一字の師ならぬ、 一概念の師ではないか。 それも彼にとってキーとなる概念の! ということになる。 なかなか愉快だ。 2009年 08月 04日
京王百貨店の古本市、どうにも我慢できずに、 最終日に飛び込みで行ってしまいました。 全くもって、意志薄弱です。 結局購入したのは、5冊 「 図説茶道大系1:茶の美学 」角川 「 図説茶道大系2:茶の文化史 」角川 「 図説茶道大系6:茶に生きた人々(上) 」角川 「 図説茶道大系7:茶に生きた人々(下) 」角川 「 現代思想と道元 」春秋社 この角川の叢書は図版(それも貴重な文書の写真! あるいは昭和30年代の茶の旧跡の風景写真等)が 多いので、眺めるのが楽しみです。 683×4 + 500 = 3,232 ということで、3,232円でした。 2009年 08月 02日
「もう本を買うまい。勿論、経済的理由、空間的理由、時間
的理由で。」と心に誓いながら、この季節、夏の古本市の案内 として、カタログが送られてくる。 思わず、ラインマーカを手に持って、開いて生唾を飲み込む という構図である。 行きたいけど行ったら最後、余計なもの買っちゃうからなあ、 と我慢、我慢。 ぼんやり考えていたら、昨年、京王デパートの古本市で アン・ヘリングさんをお見かけしたことを思い出した。 アン・ヘリングさんは、起こし絵の収集家・研究家。たしか、 法政大学の先生をやられていた。 おそらくもっと広い分野の肩書きをお持ちなのだろうが。 思い起こせば、20年以上も前、渋谷の「たばこと塩の博物館」 でへリング氏所有の起こし絵展があった。 へリングという方の存在自体、そのとき始めて知った程度だ。 私はこういうものが大好きなので、ワクワクしながら見て回った。 ところが、菅原の賀の祝の場面の説明書きが違っている。 その場合、普段、博物館では受付に間違いを指摘して帰るのだが、 係りの人とはフロアも違うし、ものを前でないと煩雑で伝わり にくいので何も伝えずに帰った。 そのことはちょっと気になっていた。 そのすぐ後、たまたま、どこぞの美術館での展示の中に、 起こし絵が2、3展示されていた。 そこに外人のおばちゃん(その時点でも、お婆ちゃんぽい人) が熱心に見ておられた。 顔は知る由もないが、直感で、へリングさんと感じ、 「あのー」と話しかけ、渋谷の展示の賀の祝のことも伝えた。 あの頃は私も若かったのだろう、今では出来ないことだ。 出会いはそれだけ。はるか昔のこと。 それが、昨年京王デパートの古本市で、お見かけしたのだ。 一瞬、ンー?どなただっけ? と思いながら。 この方は、確かにアン・ヘリングさん。 いろいろ買い占められてますねえ。 お声をおかけしようかと思ったが、決心がつかなかった、 私も寄る年波に負けた形といった趣。 2009年 08月 01日
先人ないしその作品に関する個別実証的な研究の場合、 研究者本人が自分の仕事のもつ幇助的意義を余程 しっかりと自覚しているのでなければ、好事家の手すさび と異なるところが無くなってしまう。 (研究者として)他人の研究だけで自足しているとしか 思えない連中がふえてきたね。 廣松渉「文献実証的研究の“盛行”に思う」 研究者でもない私は、ニヤリとして読む一節だ。 好事家のてすさびというものを、廣松さんがどう考え ておられたか興味を感じるところであるが、 研究者にも好事家にも必要なものは別な処にあると 私は考えるので、よしとしよう。 いずれにせよ、私、自分、その人と思う。 2009年 07月 11日
現代俳優のいわば異邦人的な感性を以って、伝統的な
「形の心」が理解できない(観客にも理解してもえらえ ない)からといって、恣意的に、安易に「型」に手を加え、 自己流の演技を創り出すことは、激しく戒めておかねば ならない。 服部幸雄「 型掌論 ---歌舞伎の「型」に関する覚書---」 から なんだか、最後に外人の警察が出てくる芝居を連想しま したよ。勿論、テレビで(それも、ながら族で)しか見て いません。 ただ、そのような入れ事や型の変更ができるということ 自体、その部分は芝居としての緊張のない部分であると 考えます。 内容によっては、芝居への冒涜と感じるものもありますが、 人それぞれなので、難しいですね。 2009年 07月 06日
人の集まり、組織。。。。こういうものの中では私はどうも上手く振舞えない。 人は私をどう見ているか分からないが、自分の中では、しっくりこない、 違和感や疎外感を覚える。 そしてまた、動こうとしない他人へ、上手くこなせていかない自分に イライラする。 相当な短気と自称する所以である。 そんな時、「私の中には仏様が結跏趺坐されている」とつぶやけばいい。 怒り熱くなっている自分が別の視点で見えてきて、心は落ち着く。 それどころか、可笑しくさえなる。 そして、世界を全部受け入れたくなる。 怒ったり人を悪く言っている自分、そのことも含めて自分自身なのだなあ、 と思ったり。。。。もする。 ところで、 このことは、お茶の世界でも感じることもある。 大いに。 先にお茶会の幹事を引き受けて、手配されている先輩が、大変なご苦労を されていた。 はっきり言って、私は何も出来ておらず申し訳なく思うばかりであった。 お茶を忘れて、自分の話しに戻ると、外界全ては自分の心のなかにあり、 全ては己の心のもちよう、ということを思い出せば、なんでもない。 仏様が全てを笑っておられる。 2009年 06月 29日
やってみせ、いって聞かせて、させてみて、
褒めてやらねば 人は動かじ 山本五十六の言葉 2009年 06月 24日
書をひっくり返していて、こんな歌を目にしました。
山城の久世の鷺坂神代より春は張りつつ秋は散りけり 万葉集にあるとのことで、現代口語訳しますと、 (一二句は固有名詞なので、端折ります) 神代の昔から春は芽が膨らんで、秋は散ってしまうんだなあ というわけで、なにやら余りの自然と言いますか当然ということ になるわけですが、柳緑花紅を連想させ、とても好ましい和歌との 思いを深くします。 春は皆芽を出し、秋に散っていく。。。。 楽しい事あれば喜び、悲しい事あれば涙する。。。。。、 私の今の人生そのものです。最近、真実はそれしかないのでは ないか、そんなことを思う日々です。 先に無視した地名、そしてそれこそが大切なわけですが、悔しい ことに久世も鷺坂も存じ上げないです。 素人考えでは、久しい世が神代の縁語というか繫がる言葉であり、 尋ねたい地ではあります。 さて、鷺坂といえば伴内。忠臣蔵でお軽に横恋慕する御仁です。 もっとも、三馬の変稚気論によれば、彼こそ忠臣というのですから それはまた笑えます。 何度も見た落人で、思い出すのは、歌昇のきっちりと踊って唸り たくなるような伴内(アレ?それじゃいけないのかな?イヤイヤ いい伴内でした)。 そして昔、天地会でみた、志寿大夫の伴内。 これは最高に笑えました。 勘平の「よく来た、伴内」という科白を、つい自分で言ってしまい 思わず右手を口に当ててしまうあたり、チャリの伴内そのものでした。 勘平役の良恵(現水谷八重子)の笑いが止まらなくなって芝居が 進行しなかったことも思い出します。笑い上戸かしら。 ちなみに、お軽は海老蔵時代の現団十郎。 思うに、浅野は違鷹羽。鷹に対する悪役側の鳥として丁度地名から 鷺坂を見出し選ばれたのかと愚考しますが、やはり何故鷺が、の思い は残ります。 何せ、能の世界では鷺は五位の位を授けられる神聖なる鳥ですから。 五位といえば天上人ということで、畏れ多いです。 舞台でも神に近い(と私が思っている)老人か子供でないと演じら れないのもご存知のとおりです。 白無垢の鷺。 フト、その昔、木版で年賀状を作っていた頃、鷺の舞台面を彫った事 を思い出します。天冠に両翼を広げた鷺を見せて、分かる人にだけ 分かればいい(そのあたり今と全く変わりない、苦笑)だったのですが、 全面朱で刷りましたね。 今思うに、どこが白い鷺? 全然分かっていない私。 思わずお顔がほころびます。 何か取りとめもない、年寄りの茶飲み話になってしまいました。 最後までお付き合いの方、失礼致しました。 2009年 06月 23日
6)
経験過去の助動詞「き」 活用: (せ)―○―き―し―しか―○ 未然 終止 連体 已然 唐衣着つつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ 1 2 3 1=経験過去の助動詞「き」の連体形 ・ 活用語の連体形に接続。 ・ 体言へ連なっている。 2、3=強意の副助詞「し」 ・ 2=体言の下につく ・ 3=助詞の下につく ・ 「し」を抜いても意味が通じる。 2009年 06月 10日
6月7日、大倉集古館
山口伊太郎遺作「源氏物語 錦織絵巻」展へ行きました。 2009年 05月 21日
仰木魯堂さんは昭和16年9月20日に79歳で
亡くなられるのですが、その前に、葉山の別荘に 田中親美、式守蝸牛、令弟の政斎、松永耳庵らが 集まったといいます。 その時に、蝸牛さんは、なんと!「蘭奢待」を持参 したといいます。 仰木魯堂さんは、泣いて喜び、衣服を改め聞香 したそうです。 実際に写真が残っているのですが、 一般民間人が蘭奢待を聞香することが出来るなんて、 この話しを読んだ時から未だに信じられないような...、 私の場合、実際に聞かなくとも、このお話しで 既に聞いたような不思議な感覚です。 以上、藤井喜三郎さんの書いたものからです。 以前に書いた、護国寺の『魯堂顕彰碑』 を参照下さい。 2009年 05月 19日
田中仙翁の書かれているものを眺めていたら、私にとっての、
新たな情報が。曰く 棗は薄茶器の代表的なものである。茶入の挽家を転用した とするが通説であろう。 というのである。 棗の起源が、挽家であったとは! それも通説! はじめて聞きました。 亡くなられた宗哲(中村弘子)さんのご本をめくると、 棗は珠光時代に奈良の塗師羽田(ハネダ)五郎によって創始 されたとあり、挽家という記述は無いようです。 しかし、別なところで見つけた話しでは、、藪内竹心さんの 「源流茶話」に、 棗は小壷の挽家、中次はかたつきのひき家より見たて られ候 とあるそうです。これから原典にあたってみようと思います。 あの棗の形がストレートに、薬入れや化粧品入れになったの ではないか(そしてそれが、お茶の世界に転用された)と わたしは思っていましたが、そうでもないようで、 これからの調査が楽しみです。
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